【訃報】水野清隆111歳で死去!国内最高齢の経歴と学歴は?4つの時代を駆け抜けた生涯

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こんにちは♪静岡県磐田市に住む、国内最高齢の男性、水野清隆さんが2026年2月8日(日)に老衰のため、111歳で亡くなりました。 2025年年の3月に「物事を苦にしないことが一番大事じゃないですかね」と長生きの秘訣をおっしゃっていました。日本のスーパーセンテリアン、水野清隆さんがどんな人だったのか?経歴に学歴に調査しました。

では、さっそくみていきましょう♪

水野清隆プロフィール

https://ja.wikipedia.org/

水野清隆(みずのきよたか)
生年月日:1914年3月14日
出身地:静岡県磐田市
死没:2026年2月8日
職業:農家

水野清隆さんは、1914年(大正3年)3月14日生まれ、静岡県磐田郡豊岡村(現在の磐田市)出身です。若い頃は、近衛兵として近衛歩兵第三連隊に勤務していました。1936年の二・二六事件発生時には陸軍省と皇居の警備に当たっていたそうです。

国内最高齢の経歴に学歴は?

日本のスーパーセンテリアン、水野清隆さんの経歴に学歴もみていきましょう!

経歴

https://blog.tv-sdt.co.jp/

・若い頃、近衛兵として近衛歩兵第三連隊に勤務
1936年(昭和11年)、二・二六事件発生時、陸軍省および皇居の警備に従事
日中戦争期に召集され、近衛歩兵第一連隊に所属
翁英作戦賓陽作戦などに参加し、中国各地を転戦
太平洋戦争開戦後、満州で編成された部隊に転属
・博多を経由して南方へ向かう途中、フィリピン沖で雷撃を受け輸送船が撃沈、その後、海軍の舟艇に救出され、セレベス島に上陸
1945年:セレベス島で終戦を迎える
終戦後、地元・静岡に戻り、約85歳頃まで農家として長ネギや海老芋などを栽培

翁英作戦(おうえい さくせん):日中戦争中、日本軍が中国南部で占領地拡大を目的に行った作戦。
賓陽作戦(ひんよう さくせん):1939年、日本軍が中国南部・賓陽を攻略するために行った地上作戦。

太平洋戦争で中国にも渡ったり、大正・昭和・平成・令和と4つの時代を駆け抜けてきました。

終戦後は地元の静岡に戻り、海老芋や長ネギ、メロンを作るなど85歳くらいまで農業を営みました。現在は子ども4人、孫10人、ひ孫10人、玄孫は人数不明だそうです。

学歴

水野清隆さんの学歴の情報はありませんでしたが、水野清隆さんは、20歳の頃から、君主を護衛(警護)してきました。

水野清隆 長生きの秘訣

水野清隆さんが話されていた長生きの秘訣は、

・何事もくよくよしないこと。
・ストレスを溜めないこと。
・すぐに忘れること。
・物事を苦にしないことが一番大事

まさか、こんなに長生きをするとは思ってもみなかったと語られていた水野清隆さんですが、110歳までは、歩くとき以外ほとんど介助を受けないで、生活していたそうです。

いろ
いろ

110歳まで、ほとんど介助がいらなかったなんて、信じられないよね!水野清隆さん、ホントお元気な方だったんですね♪

まとめ

今回は、国内最高齢で111歳まで生きられた、水野清隆さんの経歴に学歴を調べてみました。

・水野清隆さんは、1914年(大正3年)3月14日生まれ、静岡県磐田郡豊岡村(現在の磐田市)出身。
・若い頃は、近衛兵として近衛歩兵第三連隊に勤務。
終戦後は、地元・静岡に戻り、約85歳頃まで農家として長ネギや海老芋などを栽培。
・水野清隆さんの長生きの秘訣は、くよくよせず、ストレスを溜めず、すぐ忘れること。
・そして、物事を苦にしないことが一番大事

若い頃から、近衛兵として近衛歩兵第三連隊に勤務し、皇居の警備に従事したいと、戦前・戦後を体験し、また、大正・昭和・平成・令和と4つの時代を駆け抜けてきた水野清隆さん。

子どもに孫に、ひ孫、玄孫に見守られて、きっと幸せだったと思います。自分が、まさかこんなにも長生きするとは思ってもなかったと、おっしゃっていましたが、こんなにも長生きされて、しっかりしていた方は、水野清隆さんくらいではないでしょうか。

水野清隆さんのご冥福をお祈り申し上げます。

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